雑感コラム2013年7月


<前月のページへ  次月のページへ>

□コラム更新記録

   ・7/1 『生の円環運動』  ・7/8 ライフワークとレイトワーク   ・7/15 時間のなせるわざ   ・7/22 鑑察力
   ・7/29 日常にドラマの芽

日常にドラマの芽


2013年729日(月)


 昨夕から曇り空。夜には少し雨がばらつき、今朝も降ったりやんだり。中国地方では「過去に経験したことのよいような」大雨、この表現をニュースで聞いて、とにかく大変なことになっているのはわかった。山形も大きな被害があったばかり。この木曜からは8月、曇り空の今日も蝉はよく鳴いているが、それも残りわずか。8月7日は立秋で旧暦の7月1日、秋の始り。季節の変わり目、お天気に要注意。

 時々大きな荒波をたてながら、季節がつなががり、四季が新しく繰りかえされる。そこに意志があるわけではなく、ただただ宇宙的な状況設定があるのみ。意志があるのは人間。家業をつなぐ、意志をにつなぐ。目に見えるものから見ないものまで、人間はずっと何かをつないできた。特に意志をつなぐことこそ、その骨頂。「魂は死なない」という言葉の意味もよくわかる。

 今頃草葉の陰で恩師は笑みを浮かべているかもしれない。どことなく似たようなことをやっていると。厳しいがやさしい。気軽に会いにはいけないが、イザという時には話を聞きに行く。なぜ訪ねたのか具体的な話をしなくても、来るからないは何かあったに違いないとあれやこれやと話をする。それを聞いているだけで、帰る頃にはこちらの迷いが解けている。

 その域までには到底行き着かないが、教育者の恩師の意志は少し継いでいるように感じている。けっして意識していたわけではない。間近に接し、教えをうけるうちに、自然なかたちで、恩師の精神や姿勢、そして空気感といったものを受け継いだのだと思う。よくいう「薫陶をうける」というもの。

 とすれば、これをまた受継ぐ人がどこかにいるのだろうか。いや、いるに違いない。そう思うことが大事。自分のやっていることが、知らないところで誰かの人生の鍵になり得る、物語を彩る。自分と誰かとの間で常にそういう可能性があるのだと思うと、日常のどんな場面も疎かにできない。日常にこそドラマの芽あり。




鑑察力


2013年7月22日(月)


 今朝はまたむし暑い。昨日おとといの湿度は40〜50%、暑くても日陰の風は心地よかった。今朝の湿度は60%、湿度の違いでこうも暑さの感じ方が違う。今日は土用の丑の日、暑気払いに鰻を奮発するにはよい暑さ。

 暑さならぬ熱さに欠けた今回の選挙、想定どおりの結果となり、これで近未来がある程度想像できる。よくもわるくも経済に帰結する社会。過去20年の格差のまま、よいところには良く、わるいところはさらにわるくなる。

 表面的には社会の活況、しかしすそ野では『誰も知らない』ような生活現場。先日ニュースでみた違法なシェアハウスはその一端。16歳の少女の広島の事件、背景にお客の紹介料をめぐるトラブル、まるで闇社会。

 「経済」を旗印にまた動きだす社会・制度。どんな場合も一方に偏ると、ひずみが出る。そうとは気づかないうちに徐々に進行し、多くの人が気ついた時は修復のしようがない。それが世の常。

 何事もバランスが必要。目に見えるものを盛んに叫ぶ場合は、目にみえないものを。これから本当に「哲学」が必要。日常生活の中にその時間、場を備えること、大学の著名な先生の話を聞くだけでなく。

 ものごとの善し悪しを自分で考える、人に問う。大人が子供に注意する、異論反論を相手に話す、そういった日常の場面こそ大事。いいね、いいね、とやたらに褒めあう、逆に炎上するほど批判・攻撃する、というにはスマートじゃない。

 いいこともわるいことも言葉にして伝えるのは、相手を大切に思えばこそ。それが通じない人もいるが、よかれと思えば、3度は同じことを言う。それが大人の、社会人の役目。

  「鑑察」という言葉は、「善悪をよく見定めること」という意味らしい。「経済」が闊歩する社会、いずれまた社会が変わり、「歴史の批判に耐えられない」ことにならないよう、鑑察力を養いたい。




時間のなせるわざ

2013年7月15日(月)


 連休最終日、大阪は曇り空。乗客の少ない地下鉄車内。休日ほど出ようと思うワケの一つ。事務所のビル内も静か。ドアを半分開け、空間意識を広くして、デスクワーク。人が休んでいる時に仕事して、仕事している時に休む。たまたまそうできるというのではなく、そうできる状況を求めて今に至っていると最近になって自覚。


 今頃?!と人は呆れるが、そういうものではないか、自分の意識や行動は自分にとって当たり前のことだから、あまり特別視しない。たまに自分で自分のことを変わっていると言う人がいるが、それはよほど他人からそう思わされる場面があったのだろうと想像する。あるいは、そういうことはあまりなくて、自分で自分を変わっていると思いたい。


 観察するところ、自分を変わっていると言う人のタイプはこの2つがある。前者は、自分でそう言えるまでにけっこう葛藤があったと。その末に突き抜けた。ある種の達観のようなもを得て、人にも言えるようになった。彼らにはどこか爽快感がある。一方の後者はちょっとやっかいだ。自己顕示欲や少々屈折した自尊心がにじむ。


 変わっていてもいなくても、自分で自分を知るようになるのも時間のなせるわざ。長く生きれば生きるほど、わかってくるし、わかったつもりになっても、まだわかってなかっとを、また時間が経てば気づくし。いつか人に趣味を尋ねられ、とっさに、「特にないんですよ・・・、生きていること自体、趣味なようなものですから」と冗談まじりに返しが、けっこう深層にある心理。





ライフワークとレイトワーク

2013年7月8日(月)


 先週金曜から梅雨明けしたような夏空と酷暑。今日なども朝のうちに相当の汗。事務所に着いて、春先にもらっていた沖縄のミネラル海塩をミネラルウォーターと一緒に飲む。今週雨の予報はない。蝉も鳴きだした。近畿も今日明日中には梅雨明け宣言?

 宣言といえば、4月にこのホームページをリニューアルし、パーソナル・アシスタントの第2ステージを、P.A.2ndと表して、トップにメッセージを書いた。これも一つの宣言。

 独立した時点で、意識するともなく、“仕事・ワーク”は“ライフワーク”と捉えている。だから、ずっとやり続けて、なおかつ人にとっても意味のある仕事でなければならない。

 2002年の春、そういったことをはっきり意識する瞬間が訪れた。人生の選択にあたるようなことがと頭の中に響く、“もっと違うところへ行かなければ・・・”。事務所開設から7年目、一定の充足感が、新しい“不足”を求める頃でもある。

 いったん頭の中に人生の選択が響いたなら、もう後戻りはできない。パーソナル・アシスタントの独自性を際立せ、生涯を通じてやり続けられる仕事のあり方。一つの完成型。それを形にしなければ・・・。

 そのためには何か新しいことを学ばなければならないはず。さて、何が助けになるだろう。ちょうど『風姿花伝』を読んだばかりで、能にヒントがあるかと、能楽堂の教室を訪ねたこともある。ただし、師弟関係の仕来たりがあまりに古風すぎて、通うのは断念したが。

 探しものは翌年春に出会い、この4月に至るが、探しものに出会った以外に当時の収穫は、「レイトワーク・後期の仕事」という言葉を知ったこと。「ニュースステーション」のゲスト出演していた「大江健三郎」が「久米宏」に贈った餞の言葉でもある。

 第一線を退いた後、それまでとは違うスタンス、次元で世の中のためになる仕事をする。「レイトワーク」をそう理解した。ライフワークが“その人”の生涯の仕事なら、レイトワークは、その人よりも、社会にまず力点。P.A.2ndはレイトワークへの宣言でもある。





『生の円環運動』

2013年7月1日(月)


 7月1日、週の始り、今年後半の始り。今朝5時半前、朝陽がさっそうと窓を照らしはじめた。おーぉ、開けた窓から外の景色をみる。風は涼しく、晴々とした陽気に、はげまされる、盛りたてられる。祇園祭も今日から。

 始りの前に、前半をふり返り、後半につなげて考える。今年はどうやら公私ともに旧知の人たちとの接点が多くなりそう。前半を締めくくる昨日日曜、2本の電話が入った。日曜に電話があるのはめずらしい。

 “公私”と便宜上書いたが、その境目は自分の中にはない。仕事をとおして出会い、仕事が終わっても、交流が続く人。公私を越えて、『縁は異なもの、味なもの』。人の人生を創る。

 ずいぶん前に読んだ「丸山圭三郎」の本の中に“生の円環運動”という言葉があった。著者の意味するところとは違うかもしれないが、らせん状のバネのように生が展開されるイメージ。

 時にギュッとバネが縮み、二旬・二十年前ぐらいの過去と現在が密接になる。そういう年なんだろうか、今年は。そうだとして、そこからまた何が生まれるだろう、創られるだろう。年末を待つとしよう。  

ページ先頭へ