雑感コラム2013年6月


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□コラム更新記録

 ・6/3 新聞の見出しに思い浮かぶ名   ・ほどほど、の後先   ・一線を画す   ・未来から現在をみる感覚

未来から現在をみる感覚

6月24日(月)


 天気予報がころころ変わる。先週の段階では昨日日曜は晴れだった。それが曇り時々雨。今日は朝から陽もさしている、雨のはずだったが。グランフロントの庭で白い花が目についた。近づいてみると、小梔子。よその家の植垣には白い芙蓉の花。緑の葉を背景に白い花がものをいう。何か醸し出している。時間的過去の物語か、今この刹那か。

 

 ”刹那”とは、これまた日頃使わない言葉が頭に浮かんだもの。「非常に短い時間、一瞬、わずかな時」と辞書には書いてあり、「刹那主義:過去や将来を考えず、現在の瞬間だけの充実感を求めようとする主義」。普通は、考えようと思わなくても、考えてしまう。考えると苦しいから考えないようにするのだろう、一つの術として。


 「経営略系」案内のページでも紹介して、『略系表』。セミナーなどでもよく使っているが、中にはこれに向かえない人がいる。自分の「終末の自画像」や、過去の象徴的な出来事、そういったことから会得した独自能力、そして、将来の展望。書くうちに自身の経営・人生を俯瞰することになるが、同時にリアリティーが出るためか、筆が進まない。


 過去にいいことばかりあったとしたら、人間そんなに成長しない。いろいろと嫌なこともあってこそ人間的な学習をするというのは旧くからの教え。未来を考えると漠然とした不安がつきものだが、どちらにしても、いずれは終わりが来る。それなら積極的に“終わり”を想定して、その道のりを計る。そうすると、けっこう爽快な気分になるもの。


 もともとは自分のためにつくった「略系表」、2003年のことだった。それから10年、今では8版目。5、6年すぎた頃から、おもしろい感覚をもつようになった。現在の状況を未来から見ているような感覚。俯瞰する習慣が、そうさせたのか。今の出来事が過去のことのように映るわけだから、そのまま許容するというか、当然のことして受けとめる。これもまた一つの術。





一線を画す


6月17日(月)


 今朝は曇りがちの大阪。先週土曜久々に雨が降った。梅雨明け後のような暑さが続いていたので、ほっと一息。今週半ばぐらいにまた雨になりそうだが、空梅雨の心配もでてきた。もしそうなら例年より一ヶ月も多く暑さにさらされるなる。相当体に堪えそう。うまく暑気払いして、夏バテを防ぎたい。


 傾向と対策。夏バテ予防に限らず、見聞きするものごとから、感じ考えると、自ずと対策にあたるようなことを思考する。このところでいえば、“こういった世界から一抜けよう”。情報通信技術が、“度を超える”ほど、くらしやビジネスに入り込んだ社会。ありとあやゆることがサービス化され、そこに埋没せざるをえない状況。直感的に一線を画す。


 なぜ一線を画したくなるのか、自分に問うてみる。理屈は、「”皆と同じ”ということに意味を感じない」に通ず。大挙して押し寄せるものの裏に潜む何かへの疑心もある。いつの時代もその時代をつくる人の意図がある。知らないうちに、自分の精神を冒されかねない。そういうことへの理屈ぬきの嫌悪感。


 こんな風に考えるのは少ないもしれないが、『類は友を呼ぶ』、仕事仲間や友人、知人には、”一線を画す”人が多い。いずれにせよ、今の状況はさらに加速する。あとは使う側が、自分の価値観、ライフスタイルに応じて賢く選択し、活用すること。無防備に利用することだけは避けた方がいい。いつか専門家がインタビューに答えて、「道具は悪くない、使う人間サイドの問題です」。




ほどほど、の後先

6月10日(月)


 今日からは梅雨らしい空模様になるとの予報。朝のうちはたしかに雨が降りそうだった。でもお昼になって、日が差してきた。雨のない日が続き、当ビル前に植わっている紫陽花の艶がない。

 杜若と同じく、紫陽花には雨が似合う。雨が艶をだしてくれる。そういえば、宇治の三室戸寺の紫陽花も見頃とか。三室戸寺といえば、「象鼻杯」。今年はいつかしらと調べてみると、7月12日(金)。この「象鼻杯」には3度でかけた。今ならほどほどにする。

 ”ほどほど”;。辞書には、「それぞれの身分、身分相応」、「ちょうどよい程度、適度」と書いてある。自分にとってちょうとよい程度、ということになると、そもそも自分を知る必要がある。

 お酒の適量というのも、専門家によると相当に個人差があるとか。そう、心身ともに、人それぞれに相当に違う。日頃はそれを忘れがちになるから、葛藤や軋轢も生まれる。それが悪いかというと、あながちそうではないと先人たちも、わたしたちも学習できている。

 葛藤や軋轢に埋没してしまうと精神衛生上よくないが、精神的な学びが多いのも事実。通っている美容室の店主が2店目の開業を決めたらしい。「人にまかせないといけなくなるから、どうなるかと思って・・・」と彼。

 「そういう風にしていって、経営者の器が大きくなっていくんじゃないですか」と何気なく返したら、「いいこと言うなぁ、やっぱり」とほっとしたように、お褒めの言葉。これしきで、という感じですが、伊達に仕事していません、わたくしも。


新聞の見出しに思い浮かぶ名


6月3日(月)


 梅雨は小休止。今週はおおむね晴れの予報。今年は梅雨期間が長くなりそうなので、この小休止はありがたい。ただし暑さには要注意。京都の真夏日は続くそうな。

 先週30日の夕刊一面見出しに「脳の全容解明10年で コンピューター・新薬に応用 文科省計画」。“たぶん理化学研究所がやるのだなぁ”と思った。同時に「松本元」の名が浮かんだ。

 脳や認知科学の本を読むようになったきっかけが「松本元」。彼の『愛は脳を活性化する』(岩波科学ライブラリー1996年)。独立し、事務所を開設して初めて目をむけた自分の独自性。何が自分をこうつくったか、その興味が一気にわいた頃だった。

 最初は心理学を読めばわかるかと図書館で読んでみたが、ピンとこなかった。他を探していて目にとまったのが『心とコンピューター』(ジャストシステム1995年)で、その中に「松本元」の紹介があった。これにピンときた。

 梅新の旭屋書店で本を探した。数冊ある中の一般向け書かれたのが先のもの。この本で脳関係に開眼した。「松本元」にほれ込んだ。なのに、ちょうどその頃仕事で出会った情報系の研究者にあっさり否定されてしまった。それなら「佐伯胖」を読みなさいと。

 その後「松本元」を読むことはなかった。ただ直接声をかける機会はあった。東京まで出かけた『ロポットと未来社会』というシンポジウム。ほんの5mほどの距離で姿をみて、交差した。それなのに躊躇して声をかけずじまい。マービン・ミンスキーには話しかけたが・・・。

 それから10年の月日がすぎたある日、何気なく書店の棚をめぐっていて目にとまった『皮膚は考える』(岩波ライブラリー)。おもしろく読み進めて、「むすび」にたどりついた時、なんとそこに「松本元」の名。

 著者にとってはカリスマ的な存在の「松本元」。その出会いと思いをエピソードに綴っていたが、読んでいるここちらとしては、何か昔の自分に出会ったような、懐かしく、いとおしい感覚を憶えたのだった。

 自分自身への一つの問題意識を発端に、時を経て続く物語がこうして成り立つ。、やはり、自分なりの問題意識をもつということが、人生を彩り、自分を再編していく。つまり、これがオートポイエーシス?

 


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