雑感コラム2013年5月


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□コラム更新記録

 ・5/6 わざわざ外れる   ・5/13 あえて口を噤む   ・5/20 陽気盛んな女性たち   ・5/27 人間関係の妙味

人間関係の妙味

5月27日(月)


 今日は少々むし暑い。手の甲にじわっと汗をかく。新緑5月は暑さのなかで進んでいった。この週末はもう6月。一週間ほど前に紫陽花の絵葉書を買っておいた。そういう季節になった。

 昨年の今頃は、先に“大私事”が控えていると気づかず、ふってわいた案件に慌しく対応していた。過ぎてみれば、きょうだいの長として、移葬という大私事を為す年になった。

 昨年ほど象徴的でなくても、毎年毎年、特徴的なことがある。今年は今のところ、旧知の人たちとの距離が近い。これが何を意味するかは、また先をみないと何とも言えない。

 それはそうとしても、お互いしばらく会っていなくて、また連絡を取り合う期間が生まれるというのは自然なこと。何事も節目があって、個々人何かに没頭して3年ぐらい経つと、小さなゴールに至る。あるいは他所から変化がもたらされる。

そういう時、できれば“話せる”相手に話して、自分の中で意味を感じたくなるもの。普段コミュニケーションをとっていなくも、会って話せば、通じる。

人間関係というのは、日頃は一定の距離を置き、それぞれの“住む世界”にそう簡単に立ち入らない、というところに妙味が生まれるのではないか。

お互い知らないところで切磋琢磨している末にバージョンアップされる知性と感性。ある節目でそれらに触れて、小さな発見をする、そこに新鮮な驚きをして、感心する。

旧知の一人はライフワークを見つけたと言い、他人事ながらうれしかった。別な一人は、“よくわかってくれているなぁ”;と当方を呻らせた。彼らの錆びない知性、感性、行動力を祝福。



陽気盛んな女性たち

5月20日(月)


 昨日日曜の午後からまとまった雨になった。今朝の大阪は曇り空。午後から晴れてくるらしい。今のところ気温は低め、午後から夏日とか。明日は「小満」、『陽気盛んにして万物ようやく長じて満つ』。

 “陽気盛んにして・・・”とは、まるで昨日の交流会のことのよう。昨年11月から今年3月にかけて大阪市内17区で開催された「地域における女性リーダー養成講座」、その受講者の一部がクレオ中央を会場に集った。

 外の景色が見える広い会場に、主催者も含めて30数名。男性は講師メンバーの2名のみ。各区のパワフルな受講者たちは、他の地域ではどんな女性たちが受講したのかと、互いに興味津々、たのしみに参加したのだった。

 透明のガラスドアの外は雨。したたる雨が新緑五月の陽気を瑞々しく映し、室内の女性たちの陽気をさらに際立たせた。交流会の時間切れを惜しみながら立ち話をするいくつもの輪、その輪をとりまく陽気。

 これですぐに何か新しい機会が生まれるものではないが、自分と同じように、どこかで誰かが人のためにがんばっている。それを確認することが、互いの励み、勇気になる。そこに意味がある。

 参加者の一言が印象的だった。「みなさん、すごく“いい気”がビョンビョンと跳ねていて、わたしまで飛び跳ねたくなるほど!」。社会を裾野から変えるのは女性。それを再確認した今回の講座と交流会。


あえて口を噤む

5月13日(月) 晴れ

 昨日の日曜からようやく初夏の様相。気温は夏日でも、空気が乾き、清々しい。気持ちが軽くなる。一方で、この季節ワインが美味しく、少々度がすぎて、身は重くなった。自制しなければ。

 さて、このところまたまた痛感、年を重ねれば重ねるに応じて、わかってくることがまだまだあるものだと。“;あの時Aさんの言っていたことの意味はこういうことだったのか・・・”と思いあたった。

 今年90歳になるAさん。20年来、いつも気にかけてくれて、今も定期的に連絡がある。そのAさんに10年ぐらい前だったか、こんな風に聞いたことがある。「今の年齢になられて、あらためて感じることは何ですか?」。

 戦争への出兵、地方政治、事業経営などを経験したAさん。人生の先輩の、生きるということの答みたいなものを聞こうとしたのだった。でも返ってきた言葉は意図に反して、「何も言わないようにする、ということですね」。

 どういうことだろうと、最初ピンとこなかった。Aさんいわく、あえて「年寄り」に聞く耳を持とうとする人はほとんどいない。言っても空しい思いをする。だから自分からは何も言わないようにしようと。

 ちょっと考えさせられた。当時は、視覚的にとらえる「老化」を精神の老化と捉えてしまう危うさを考えたのだったが、本当はおそらくもっと広く深い。時代ごとの文化性、その違いを言っていたのかもしれない。

 世代、時代が共通する価値観、行動規範、常識と良識といったものの中身、質。その異なり。「そんな自分勝手は駄目でしょう」と昔は言われたことが、今は「別にいいんじゃないですか」ということも少なくない。

 時代の、社会の移り変わり。そういったものを許容し、前向きに諦める。だあらあえて口をつぐむ。そういうことだったのかと、思い至った。こうして、良くも悪くも、世相や社会通念というものが時代とともに入れ替わっていく。それまた自然なこと、時代の流れということ。


わざわざ外れる

2013年5月6日(月)


 昨日は立夏。今朝はひんやりしているが、陽射しが強い。日中にかけて少々暑くなりそう。連休最終日、さすがに電車は空いていた。家でのんびりといったところか。

 のんびりといえば、昨日自転車でのんびりと散歩した。大阪城公園を通り抜けると、すごい人だった。ただ公園の外れには観光客が来ない場所がある。

 ここへ来慣れている人たちが緑の中を歩き、一画でバトミントンをし、鳥を観察する。その仲間に入り、石のベンチでしばし時間を過ごした。ショルダーバッグから手帳を取り出す。

 いつも携帯している文庫サイズのもの。2007年1月、新宿伊勢丹で買った光沢のある茶褐色のノートカバー、そこに2種類のノートをはさんでいる。

 一つは無印良品の無罫、もう一つはツバメノートの縦書き立太罫。前者は直感メモ、後者は日記用。手帳を膝に置き、今検討中の案を練る。ここ数日の出来事の中から気にとまり考えたことを書きとめる。

 そうして、顔を上げ目の前の新緑の風景をみる。のんびりとした、長閑な時間。人の集中する場所をさけて獲得する素の時間。こういう“間”こそ創造的。

 3日に亡くなったという弁護士の中坊さん。一時テレビでよく取り上げられ、活躍ぶりが広く紹介された。その一つ、NHKの番組を今でもよく憶えている。花背の峰定寺がお気にいりだったとか。

 花背とえば、京都のはずれ。わざわざ出かける気持ちがよくわかる。

 


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