雑感コラム2014年2月


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□コラム更新記録

   ・2/7 奇知にふれる、「ゲニウス・ロキ」   2/15 『ふと、思った』   2/22 よき先輩に学ぶ

よき先輩に学ぶ


2014年2月22日(土)


 2月はまさに逃げるように過ぎていく。立春以降あれもこれもと考えつつ、いつのまにか残り一週間。年度末までにひと月ほどになり、人の気も新しい春にむけて動きだしてか、退職を決めたという便りや事業拡大のために海外出張中というメールが届いた。次の飛躍にむけて、気持ち高まり動く春。


 気持ちが動く春にうまく乗じて、小さなことでも何か新しい動きは実行したいもの。春に限らず、ちょっとしたきっかけがあれば、逃さないのが肝心。そうしなくて悔やんだのが昨日。昨年9月に仕事関係の人から勧めれたこと、『佐藤初女さんに一緒に会いにいきません?ご高齢だから、はやく会っておいた方がいい』。


 なんでこの時、もっと関心を持たなかったのだろう。今になって気になったのは、たまたま聴いたラジオの講演番組。帯津良一さんの講演の中で佐藤初女さんの話題が出た。ここで聴いたのも何かの縁と、ネットで調べてみたら、つい先日大阪へ来られていた。なんとまあ、残念なこと。昨年の段階で何か動きをしていれば、この機会を逃さなかっただろうに。


 やはり春先になると、何か学びたい気持ちになる。まずは気の利いた講演会やセミナーはないかと探すが、テーマがありきたりで、興味はそそらない。そうなると、人生のよき先輩、愉快な先輩たちの話の方がいい。借り物でない、独創的で普遍的な言葉と行動。よい模範をみて、わがフリを直せる。


 14日の雪の日、図書館で雪宿りをして読んだ本の中にも、よき先輩のメッセージがあった。山折哲雄さん『知の体系によってかんじがらめになった「信じる宗教」から離脱して、むしろ天馳万物のなかに神や仏の生命の気配を感じて身を慎む「感じる宗教」の世界を目指そう』。“身を慎む”という表現にすべての思いがこめられている。同感、共感。




『ふと、思った』


2014年2月15日(土)


 バレンタインディの昨日、朝からお昼にかけて雪。大阪市内でも積もり、屋内から見るかぎりは、きれいな雪景色。ただし歩くには億劫と、外出を控えた人が多かったようで、どこも人は少なかった、デパートのチョコ会場でさえ。


 昨日の雪も今朝は屋根に少し残るくらいで、足元も安全。早々に起きて、事務所へ出た。来がけに地下鉄内で昨日の夕刊を読む。トップの目次に「憂歌団復活」の文字。好んで聴いていなくても、よく知られた存在。19年ぶりにアルバムが出るらしい。

 

 記事を読む。1970年に結成、1998年の活動休止、そして2010年、ソロ活動していた「木村」と「内田」が再び共演。きっかけは、「内田」が自分のライブ中に、『ふと木村君と共演したいと思った。ひらめきとしかいいようがない』。


 「内田」の誘いに「木村」も応え、それ以降、事が動きだし、今回の新作発表につながり、公演活動も本格化するのだとか。そう、この“ふと、思った”が大事。それが未来を拓く。


 ふと思ったことの、その先の一手を実行する。そこに動きが生じて小さな波がまわりに伝わる。相手のあることなら、相手に伝わり、反応が返ってくる。フィードバックがあれば、また次の動きをする。そういう展開がある時期に大きな結果を生む。


 同じことを何度も言い、何度も書いている。それほど、“ふと、思った”を大事に思うしだい。 




奇知にふれる、「ゲニウス・ロキ」


2014年2月7日(金)


 今朝の天気予報で大阪の午後に雪マーク。たしかにそんな雲行きになってきた。四日の立春から続く、真冬なみの寒さ。ちょっと散らつくぐらいならいいが、足元が悪くなるのは勘弁してほしい。今日は早く帰るとしよう。


 このところのニュースが賑やかしい。「STAP細胞」は一段落し、ここ数日は「ゴーストライター」、まるでドラマみたいな話。否、“事実は小説より奇なり”。ここにきて明らかにした背景に何かあったのか。それにしても、“世に出る”のになんと浅はかな方法を使ったこと。


 マスメディアで取り上げられ、妙に持ち上げられ、それを見聞きして乗じたした人たちに取りかこまれ、身の丈以上に自分を感じる。自分を見失う。ある意味よくあるパターンではないか。甘い罠にはまってしまって、愚かなこと。


 聞くところ、音楽界ではその作品性に疑問の声はあって、それでも大勢に影響を与えるものではないから、ある意味市場の原理として捉えられていたとか。そら見たことかと苦々しく思っている音楽家も少なくないかもしれない。


 マスメディアの目利き力がどれほどのものかは、自分の“住む世界”のことが取り上げられた時によくわかる。実態からすると、ずいぶん脚色されたり、表面的だったりして、なるほどこの程度かと確認できる。


 自分たちにとって都合のよい、大衆にうけやすい、場合によっては当局の“思うツボ”に乗っかる。マスメディアのモノサシに?マークがついて久しいが、その度合いは増している感。


 今はネットメディアも存在して、いろんな情報には触れるが、本当に大事なことは限られる。雑多な情報の中から、自分なりの意味を読みとるためには、原理原則のような知が必要。それで古典と奇知にふれた方が大事を思うようになった、ネットが広がりだした頃から。


 つまりは1995年以来。それから5年ほどの間に読んだ本は大事な糧になっている、おそらく。その1冊が、今日の日経朝刊に訃報が載った鈴木博之氏の『日本の<地霊 ゲニウス・ロキ>』(講談社現代新書1991年)。

 

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