雑感コラム2014年5月


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□コラム更新記録

   ・気運、コンテクスト  ;絶好の寄り道

 結果は時間差でやってくる


2014年5月24日(土)


 暑くもなく寒くもなく、睡眠に最適な季節、よく眠っても眠い。そんなところで耳に入ったラジオのニュース、眠気からさめた。あの事件が今日で17年・・・!。平成9年、犯人は14歳の少年だった、神戸で起きた事件。

 

 先日最終的に犯行を認めた遠隔操作事件、この容疑者とみて、神戸の事件を思い出した。14歳の少年の心の社会はどうなっているのか、何がそうさせたのか、複雑怪奇あるいは至極単純?


 なんとも理解しがたく、しかし時代の一端を映す鏡のようでもあった。“こういう人間が出てきたのか・・・”と感じたものだった。同じような感想を遠隔操作事件の容疑者にもった。二人は一歳ちがいの同じ年代。


 昨夜知人との雑談の中で今回の事件の感想を話した。すると、東京で勤務する知人いわく、「秋葉原を歩いていると、あの顔、あの同じような顔と目の人を見ますよ、5人に1人ぐらいの割合で」。


 実はこのところ、“ヘンな人が増えたなぁ・・・”と感じている。朝夕の地下鉄車内や街なか、見るからにヘンの人、一見普通そうで、、動作や行為がおかしい人。もともと周囲に注意を払う方だが、さらに意識しておこうと思っている。


 それにしてもあらためて思うのは、よくもわるくも結果は時間差でやってくるということ。バスの手配を忘れて自作自演の脅迫事件を起こした会社員も30歳。時代の申し子たちだろうか。


 平成9年といえば1997年、この年の秋に山一證券の破綻があり、銀行がつぶれるということが日本で起こるようになっていく。企業ではリストラ、就職は大氷河期、平日の夕方はやい時間にも暴走族が出没するようになった。


 当時の社会のムードを今もはっきりと憶えている。この世相の中で育つ子どもたちのことを案じたものだった。さて、遠隔操作の容疑者の心の社会はどう解き明かされるか。






絶好の寄り道

2014年5月13日(火)


 昨日が上がり、今朝は徐々に晴れ間。午前10時ごろにはすっかり晴れた。朝一番、天王寺で用事を済ませ、すぐそばの天王寺公園の緑が輝いて見えた。少し中を歩いてから帰ろう。薫風五月、寄り道したくなる季節。


 初めて公園内の庭を歩いた。池あり、山あり、あずまや有り。池の東端、水生花園の一画が特にいい。そんな端まで来る人は少なく、通いなれた写生グループが静かに絵を描いているだけ。ベンチがいい間隔で据えられている。


 目の前の池の向こう遠くに園外の高いビルが少し見える。右手、茶臼山のこんもりとした森が大きな生き物のように、五月の風に身をうねる。池辺の笹が葉先をからめて、さらさらさらら。雀が木々を飛び移りながら、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。


 近くのお寺から鐘の高い音が小さく、かんかんかん。楓にさす陽が新緑に明と暗、木全体には透明感。なんといい空間、シチュエーション。池に渡る橋の名、「和気橋」ならではの和やかでいい気持ちの庭。


 ほんの小一時間、薫風五月を堪能、英気を養うひとときに感謝。






気運、コンテクスト

2014年5月7日(水)


 大型連休明け、空は青々として新緑も清々しい。ラジオで来週の葵祭の話題が出ていた。そういう季節になった。太田神社の杜若はいまどんな様子かしら。

 今朝地下鉄の車内で、ふと12年前のことを思い出した。セレンディビティーというか、“次の段階へ行かなければ・・・”と閃いた2002年。仕事も含め、人生のステージを違う次元へもっていかなければ感じたあの時。

 そして今さらながらに気がついた。通勤途中のバス車内で、“むこう側へ行かなければ・・・”と独立を思い立ったあの時、あれは1990年のことだった。2002年からすると12年前。

 そういうことか・・・と我ながら納得する。そろそろまた次の段階へ進もうとするムードを内側に感じていた。ムード、これがけっこう大事。辞書には「気分、情調、雰囲気」と書いてあるが、気運といってもいい。

 自分の中に現われるそういう気持ちや気分の運び、感覚というものに頓着したいもの。気が向いたこと、気にいったことをうまくとらえてそれに乗じると、いい気配が生まれるはずだから。

 コンテクスト。この言葉を「状況設定」という意味でよく使う。辞書には「(文章などの)前後関係、文脈。周囲の事情」と説明してあるが、欧米での捉え方は、「空気を読む」なんだとか。

 自分の中に漂う空気、自分をとりまく状況に運ばれてくる空気。昨日ある人への助言に、『相手からやってくる状況にうまく乗るという感覚、わかるでしょうか』と伝えた。自分をとりまく状況を少し離れて観ると身の処し方も見えてくる。
 
 気運、コンテクスト。いずれにせよ、アフォーダンス論のギブソンの言葉を借りれば、人生の可能性や意味は環境や状況の中から自分自身が発見するもの、誰のまわりのも可能性は潜在していると説く。たしかに。

 

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