*過去の読書歴リスト


賢人の雑学2020年6月22日(月)

 土曜日弟と会ったら、「先に読んでいいよ」と佐藤さんの本を渡してくれました。6/16付の「ひと言ひとり言」で話したばかりの佐藤弘樹さん。急逝して一年になりました。

 「ひと言ひとり言」でも話したとおり、佐藤さんとは何か通じるもの。この本を読んであらためてそれを感じました。わたしが書いて話していることもこういうことだろうと思います。

 特に最後の方に「諦観」について書いてありました。わたしもよく仕事でも話していることです。

 一日ですぐに読める本ですが、この出版が2016年7月ですから、佐藤さんがここに生きている、そう感じます。書いておく、ことは後々さらに意味をもってくるものです。


『大衆の強奪』 2020年2月17日

 読みながら、今の世界政治トップの面々、衰退した政党、ネット社会の様相等々が頭に浮かびました。まるで今の時代を語っているような、著者がいま生きていて、一生懸命わたしたちに説いているような、そんな本です。

 このタイミングで日本初全邦訳本を出したというのも頷けます。1883年生まれの著者は第一次、二次の大戦を生きた、医学を出発点に学際的な実践家。

 ファシズム、反ファシズム、いずれの場合も、やすやすと大衆がプロパガンダに乗る様相は、自分を映す鏡。知る人ぞ知る本だったのもよくわかる内容です。

 いとも簡単に扇動されるかもしれない自分に鉄線をはり、教養、社会的知性を磨くためにも、読んでおいた方がいいのでは?と感じる一冊でした。



『時間は存在しない』2020年1月17日

下欄に紹介した『時間とはなんだろう』を読んだ時のとらえ方を、さらに物語的に解説してくれたような、そんな本でした。動くことによって自分の時間をつくっている、過去も未来もいつも自分の身のまわりに抱え、対話しながら、自分の人生を生きている。

 最新の科学ニュースや読書を通じて時々感じることですが、たぶん古代の人たちが直感していたことを科学で解明し、お墨付きを与えたということではないでしょうか。  



『自然は導く』 2019年10月17日

『人体の冒険者』を読んだ時に読者登録をしたので、定期的にニューズレターが届きます。その中で紹介されていたのが『自然は導く』。短い紹介文でしたが、すぐに“これは買いだ!”。翌日梅田三番街の紀伊国屋書店でチェック。てっきり人文コーナーと思っていたら、アウトドアのコーナーに陳列されていました。

 人文の方がいいのではないかしら、ともあれ迷いなく購入。読み始めると、早々に、“この本はどの専門家にとっても、何らかの示唆を与えてくれる”。

 「観察」の大事さは、モンテーニュの教えをよく引用して、自他ともによく話ていることですが、自分の「観察」の程度がなんとも未熟で初歩の初歩であるか、痛感させられました。「essais」もそんなことを少し書きました

 そして都市で暮らすわたしたちとは比べものにならないほど、自然とともに暮らす人たちの高度に発達した力。目にみえて、そうとはわからないけど、磨きにみがきのかかった感覚、外界から何かを読みとる、読み解く能力。想像を絶するほどです。わたしたちにもこれから何とか取り戻せるのではないか。

 あらためて、外見からは見えない才、質、能力に思いを馳せること。目の前の人が内に秘めている力に想像力を働かせる、その意義を想うのでした。外観にとらわれず、この人の中に何かこの人ならではのものがある、そういう目線を忘れないようにしなければ、と。

 そんなこんなこと箇所に付箋をつけながら読み進め、12日に読み終えたのですが、いつものように読書メモに記入し始めたところ、なかなか進まない。付箋はいっぱいつけても、メモに書き込むのはそう多くないのが常。

 でも今回は一気にできず、仕事の合間に、細切れに書いています。その数が多すぎて、いまだ継続中。



『未来への大分岐』2019年9月24日

3年前だったか、NHkの「欲望の資本主義」を視た時に、“この人は、すごい…”と感心したのが、「マルクス・ガブリエル」。初めて知った人でしたが、あとで調べて、すでに世界で注目を集めている若手の哲学者。時代の要請でしょうか、時々こういう風に、世界に一つに指針を与えてくれる人が、この世に出てきますね。

 同じ意味で、インタビュアをつとめた編者「斎藤幸平」にもそれを感じます。大阪市大大学院の准教授、32才。信奉する人も多いのではないかと想像。内に何をそなえ、どういう環境でその才が育まれたのか、興味がわきます。少し検索してみましたが、本に紹介されているプロフィールの範囲でした。

 この本を読んで気をひきしめました。彼らの奮闘に呼応することになるかどうか、まずは、わたし自身の今の務めをしっかり果たすこと。自分ならではのいき方を模索する人たちによき助言を授けられること、対話の機会や場で多様な意見、問いを交流させること、そして、自他ともに問うこと。本当にそれは自分のため、人のためになることかと。

 「マルクス・ガブリエル」の印象的な言葉−『倫理は死すべき存在のためのものだ』。「不死身であれば、どう生きるかは問題にならないので、倫理をもつことはできない」。「倫理的諸原則は、人間が人間らしく生きるための条件だからこそ、すべての人間をカバーする、真に普遍的なものでなくてはならない」。



『人体の冒険者たち』2018年12月18日

 日経の書評を読み、即“これは買いだ”と感じました。著者は医師ですが、思考も行動も非常にグローバル。知の周縁をこえて、宇宙的という表現がしっくりきます。属して属さず、属さずして属す。専門領域に埋没せず、広く人間を世界をみる、そういう人や本に惹かれるのが常。本当にいい本なだなぁと感じました。

 それにしても、世の東西をとわず、大昔から人は人間の体と宇宙を自然につなげてみています。現代では「時間治療学」という分野もあるぐらいですが、まだまだわかっていないことがたくさんあるはずです。

 先週ほんとうに久しぶりに京都北山の植物園へ行きました。紅葉はすぎて、人もごくごく少なく、冬枯れの空気感が漂っていましたが、お目当ての「フウの木」の下から頭上を見上げると、ところどころの枝の根元に緑の葉がたわわに連なっているではありませんか。

 どういうこと? 別の木の枝がからまっているのかと目をほそめてよく見ましたが、そうではありません。たしかにフウの木の葉です。たまたま近くで木々の手入れをしていた作業着の人がいたので、近づきながら声をかけました。「あのー、すみません、これって、どういうことですか、気温が高かったからですか?」。

 「あぁ、これは」と返ってきた声にえっ?! 男性かと思ったら、女性でした。作業帽とマスクでわからなかったのですが、やさしく教えてくれました。台風で折れた枝から出ていて、たぶん、この緑まま落ちていくだろうと職員どうしで話していると。

 びっくりしました。そういうことがあるんだと呻りました。自然の営み、力を今更ながら人間に知らせているような感じです。9月の台風で折れた枝を朽ちらさないためなのでしょうか。

 人間もそうできている。この本を読むと、自他ともの心身を、自然を、この世界すべてを、いとおしく想えます。



『時間とはなんだろう』 2018年5月3日

 新聞の広告をみて気になっていた本。買ったのは2017年12月11日。すぐに読み始めたものの、何かを慌ただしく、読み終えたのは今年2018年4月8日。

 「時間」に関心が出てきたのは、独立してからのこと。10年ぐらい経ったときに、ふり返って、人との出会いの不思議さすごく思って、そのタイミングというか、流れというか、そういうものが時間のなせるワザのように感じて。

 当時は、人間それぞれに生まれた時を出発点にその人の一生に時間の流れ、道すじが決まっていて、たまたまその道すじのどこかで交差した人と出会っているのではないかと考えました。ある意味、平面的。

 その後『宇宙は本当にひとつなのか』(村山斉 講談社ブルーバックス)を読み、わたしたちのまだ知らない7「次元」が空間の中に隠れているかもしれないと書いてあって、「時間」へのイメージは少し変わりました。ある意味、立体的に。

 今回のこの本を読んでは、もうすこし柔軟にとらえるようになりました。社会生活に使われる時間は一つの決め事だからそれはいいとして、人間個人にとっての時間はその人が動くことに発生させているのではないか。横になって眠っている時は、その場、地、空間の過去の記憶または隠れた次元に入り込んで、夢の見るのではないか、など。

 結局のところまだ「時間」はコレだと特定することはできないそうですが、最終的に次のように説明してくれています。なんだか、「時間」をいとおしく感じます。

   「時間は、時空、重力、量子場に刻まれた建造物を絶妙に繋ぐ要石」

  著者は京大を卒業した方で、京大が肌に合ってそうな印象を受けます、本文を読むと。そして「おわりに」がまだ親しみを感じます。「理」を駆使して一つのテーマを突きつめていくと、それまで見えなかったものが見え、自分の世界の見え方が変わる。だから、

 「一人でも多くの方がご自身の学びを通じて世界を深め、その美しさを共に楽しんでもらえるのが私の願いです」

 わたしもそうありたいと思います。



私の日本語雑記』 2017年11月24日

 2010月5月に岩波書店から出た「中井久夫」の本。新聞広告を見てすぐに購入。10数年前に知人から教えられて読んだ『治療文化論』に、不遜ながら、何かしら共有するもの感じていたもので。ただしずっとそのまま置きっぱなしにしていたのでした。

 それが、5月に読んだ「岡潔」にも通じるものがる気がして、6月中旬に読み始めました。実際同じようなことが書いてあり、例えば「情」があって知があるとか、俳句や詩歌のことなど。「中井久夫」という稀有な知性と感性の偉人が書く日本語。その内容は日本語を周縁からとらえ、心身と外界の垣根なく、宇宙的。

 読みながら気づいたのですが、この本のすごいのは、読んでいるこちらが賢いように感じられること。まるで自分がこの本を書いているようにも思える、不思議です。著者ならではの観察がこの本を創っているのですが、その観察眼が自分のもののようである錯覚。著者ならではのなせる業でしょうか。

 この本は一気に読わなくても、ふらっと自然の中を散歩する気になった時に読めばいいような、そういう一冊です。6月18日に読み始めて読み終えたのが昨日11月23日、けっきょく5カ月になりました。いい散歩ができた気分です。付箋をつけた箇所が無数。そのうちから特に気になる箇所をフォームに手書きして保存。

 この本もまた、ものごとの本質、『われわれな何者か、われわれはどこへ行くのか』の示唆を与えてくれています。どの仕事、どの業の人にとっても、自分を生き、社会でそれなりの役割を果たそうとする人それぞれに、学ぶことの多い本です、『数学する人生 岡潔』と合わせて。



『晩年のスタイル』 2017年11月28日

『数学する人生 岡潔』を読んだ後、ずっと書棚におきっぱなしの『晩年のスタイル』(エドワード・W・サイード)に目がいきました。原題は『On Late Style』。サイードのいう「レイトワーク 後期の仕事」を知ったのはテレビ番組に出演していた「大江健三郎」のお話しからです。たしか2002年の終わり頃でした。

 この本の出版は2007年。出た時に広告か新聞の書評で知り、すぐに買いました。でもなぜかしら読む気にはならず、置きっぱなしにしてはや10年。本を読む場合、一冊入り込んだ本があると、その系統が続くものです。「岡潔」を知って、ようやくこの本も読むことになりました、5月下旬から6月初めにかけて。

 読んでそれほど強い印象は受けませんでしたが、確実に一つは自分なりに認識を新たにしました。それは、老いてラディカルであること。妙に老成して、納まってしまってはつまらない。若年期、壮年期を経て、精神はそれなりに熟成されているのだから、それを閉ざさず、自他ともに大いに味わえるようにすること。

 そう思えた一冊でした。付箋の数はそれほど多くありませんでしたが、大事な箇所を手書きして精神の糧に。



『数学する人生 岡潔』2017年11月19日

 ここ数年では一番に心に迫った本。今年5月に読みました。編者は『数学する身体』で小林秀雄賞をとった「独立研究者」の「森田真生」。この人自身が「岡潔」に導かれて専門を数学に移したほど。現代人に「岡潔」の存在を伝えたいという思いからの出版とあって、内容がうまく構成されています。

 最初は受賞本の『数学する身体』を買うつもりで書店へ行ったのです。昨年の9月末ごろ地下鉄車内で、若い男性が単行本を食い入るように読んでいた。カバーはかかっていなかったので、なんとか、「数学」という文字だけは見えた。数学の本で、そんなに…?

 その本が『数学する身体』らしいとわかったのは、それからしばらくして日経新聞に載ったインタビュー記事。「独立研究者」といういき方にも共感、受賞本を読んでみようと思ったまま年を越して春になってしまいました。おまけに買ったのは『数学する人生 岡潔』。こちらに本質があるように感じたものですから。

 これほど入り込んだ本は久しぶり。食い入るように読みました。自分が同じ時代を生きているように感じたほどです。こういう人がいたんだという驚き。付箋をつけた箇所はすごい数になりました。その箇所を所定のフォームに書きとめながら、言葉をまたかみしめる。普遍的なもの、真理というようなものにふれる本です。

 『いま、読んでいる本があるんだけど、岡潔、この人は…』とクライアントが言いかけて、えっ!という表情をしたこちらの反応に先方も驚いて、しばらく二人で熱烈に「岡潔」の知を語り合ったのは、今月初め。20年を越えて続くクライアント、その<わけ>をあらためて気づかせてくれた『数学する人生 岡潔』です。













読書をする  − 仕事を超えて、自分を拓く −



『読書とは本業以外の本を読むこと』(堤清二)


ラジオの語りが甦る『賢人の雑学』(佐藤弘樹) 2020/6/22



教養のための『大衆の強奪 全体主義政治宣伝の心理学』



理系文系の垣根をこえて、『時間は存在しない』 2020/1/17


 

50年前の本が初めて邦訳、『自然は導く』 2019/10/17


 

編者の若い研究者に感心、『未来への大分岐』2019/9/24

  


『堀田善衛全集』を見なおす 2019年4月〜


 全集を見なおし始めて、思いがけない発見がちょこちょこあり、たのしみが出てきました。例えば、第2巻の解題のところで、『歴史』の単行本帯に記された作家本人の弁が紹介されています。

 人生は、ひとつづきにつづいたものなのだ。ある部分を忘れてしまったり、抹消したりすれば、そこだけ断絶して、不連続なものとなる。不連続ということは、不安定ということだ。

 9年前の2010年に『人生とう作品』(三浦雅士 NTT出版)を読んで、「過去」に対する認識を新たにしていた。いまこうして「堀田善衛」の考えにふれて、あらためて、深く頷くのでした。


『人体の冒険者たち』、すべてがいとおしい 2018/12/18



「おわりに」の一節に親しみ『時間とはなんだろう』 2018/5/3



若い人に読んでほしい『エセー』、「堀田善衛」 2018/3/14


 今年度の仕事も終盤、公私ともに整理整頓をして、新年度を迎える3月。2017年度は、「精神の糧を豊かに!」をテーマとして、自他ともに「自習」、「読書」を唱えました。

 科学者や経済アナリストも昨今さかんに文化的素養の大切さをうったえています。仕事や暮らしのさまざまな判断・判定を人工知能・AIに委ねる社会、人間には人間ならではの精神の働きに重きがおかれていくことになりますから。

 人間社会の普遍的な精神、個々人のアイデンティティー・精神性、そういったことを心身ともに覚え。そうでないと、時勢に翻弄されて、場合によっては、心を不健康にしかねません。

 大学生の5割が一日の読書時間ゼロという調査結果が2月26日に発表されました。20歳の学生なら生まれは1998年前後、金融破たんが続き、親世代は混とんとした社会状況の中で悪戦苦闘していた頃です。

 経済的にも精神的にも余裕がなく、子供に読書習慣をつけさせることができない世帯が増え始め、一方ではインタネットが生活の中に入り始めた時ですから、そういったことも調査結果の背景にあるでしょう。

 それでも、読む人は読む。そして読まない人は今度さらに読まなくなりそうです、AIなどの広がりで。これからの世の中では、若者たちの同世代間<文化ギャップ>、<コミュニケーションギャップ>が深刻になりそうです。

 良好な人間関係は仕事や生活の質に欠かせませんから、若いうちからギャップにさらさせると、特に本を読む人の方に、孤独感を深めたり、自分を見失う人が増えるのではないかと心配です。

 そうならない精神力の助けになるのが、古典や<良識>ある先人の知です。「モンテーニュ」と「堀田善衛」は若い人にこそお勧めします。

 中公新書の『モンテーニュ』は著者の熱い思いが読者をさらに勇気づけます。『めぐりあいし人びと』の前に、『若き日の詩人たちの肖像』を。「堀田善衛」は人間とは、社会とは、というようなことを考えさせてくれます。

 ちなみに「堀田善衛」は「モンテーニュ」の『エセー』を、「(人間を見直す)試み」ととらえています。2008年11月に神奈川近代文学館であった『スタジオジブリが描く乱世 堀田善衛展』の展示に書かれていました。


私の日本語雑記』、散歩するように読む 2017/11/24



『晩年のスタイル』、10年経って読む  2017/11/28



『数学する人生 岡潔』、二度の驚き  2017/11/19



これまでの読書&〈書く〉歴

 2017年2月11日にクレオ東館であった『ビジネスセンス塾Vol.3−人に学びつつ、倣わず、ワタシ流を磨く』。レジメの中にワタシ流を磨く二大習慣として読書と〈書く〉をあげました。一例として履歴を簡単にまとめましたので、以下に抜粋いたします。ちなみに批評家の「若松英輔は、『書くこと、話すことは魂の労働』と言っています。

 なお、1995年から1998年の読書歴を1999年6月のリーズレターにまとめています。



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