2024年2月13日(火)

 10日の旧暦元日の祭事のために木曜から準備をして、一段落した12日に『世界における索引と兆候』を読み終えました。

 一昨年図書館で借りて、途中まで読んだところで返却期限になったのです。読み始めてすぐに、これは買おうと決めていたのでした。

 ゆっくりと読み進めました。書見台に開いたままにしていて、気が向けば読む。そんな感じでした。

 なぜそうしたか。一度途中まで読んでいたこともありますが、それ以上に、この本全体がわたしには森の中に入って、自然の英気をもらうような、そんな「間」になるからです

 一服、一服、お抹茶をいただくような時間とも例えられるかもしれません。

 あまりに付箋だらけなので、どの箇所を読書メモに筆写するか、なやみそうです。


2024年1月2日(火)

 2020年の「コロナ」による自粛社会の時に音声にめざめ、「老子」、「孫子」と読み進め、昨年10月から「モンテーニュ」を再読しています。

 買って読んだのは2021年の春でした。読み進めながら、まるで現代に生きて語ってくれているようなモンテーニュの言葉にぞっこん惚れました。

 著者の荒木先生の文章がまたいい。思い入れたっぷりで、すごく好感しました。読み終わった時には、便りを出す気になって、プロフィールに書かれていた現職の大学にハガキを出したのです。

 するとなんと、返信がきた。思いがけないことです。お礼の言葉が書かれたいたそのハガキにはご自宅の住所が書かれている。さっそく、こちらからお礼のハガキをふたたび出したのでした。

 その後おりにふれ、便りをだしていました。そうして交流が続いたのです。この「モンテーニュ」と荒木先生については語るべきことがまだまだあるのですが、それは追ってもとめようと思います。

 いま再読しながら、あらためて『モンテーニュ』の普遍性を感じています。音声にして読むのも愉しいひとときです。


2023年5月9日(火)

 年初から音読をはじめた「孫子」。4月18日に読み終えました。さすがに「孫子」は再読する気にはなりません。でも「まとめ」は作ろうと、読みはじめて早々に決めました。

 訳注者は「孫子」の価値を、「人生の問題としても、時代や地域を超え広い普遍性をそなえる」と書いていました。そして最大の特色が、「好戦的でない」こと。

 『真説 孫子』の著者も説いていたように、この本の訳注者も「老子」と思想との関係にふれていました。

 実際、読むとそう感じますが、もし「老子」を知らないと、その精神性にアンテナが反応したかどうか…。ややもすると、〈方法〉だけに気がいってしまったような…。

 だから今のタイミングで読むことになったのはよかった。そう感じています、「寸録」にも書きましたが。


2023年4月26日(水)更新

 メールマガジンを登録しているのは2つ出版社だけ、みずず書房と創元社。

 どんなときはぱっと見るだけですが、3月配信のみすず書房のメルマガは最後までちゃんと見てよかった。中井先生を偲んだ展示会の案内があったのです。

 会期最終日の前日に行ってきました。そのことはessaisにも書きましたが、この時買った本を読みはじめて、感じたのです、これは皆いま読むべき本ではないかと。

 「戦争の現実の切れ端を知る者として未熟な考えを〈観察〉と題して提出せずにはおれない気持ちがある」(1.はじめに)

 中井先生の良心、良識がここに表れている、そう感じます。『孫子』を4月18日に読み終えたので、20日から音読しています


2023年1月16日(月)更新

 昨年新聞でこの『教養としてのラテン語の授業』の広告を見たときに、うん?と目を引いて、ちょっと興味はもちました。

 年が明け、7日に「孫子」をもう一度探しに、なんばのジュンク堂へ行ったとき目立つところに陳列されていて、おっ!と手にとり、買うことにしたのです。

 「若松英輔」が推薦しているとは知りませんでしたが、それだけあって、なんともいい本でした。ゆったりと歩を進めるように、読み進むことができる、そんな一冊。

 今日のessaisに紹介しましたが、以下は127頁に書かれていたことです。

 全身全霊で打ち込める何かに出合えたら、それだけ努力した後に訪れるゆううつも経験してみていただきたい。それでこそ目の前に、きっとまた新しい世界が広がるはずです。




2022年12月9日(金)

 老子の全81章の音読を昨日8日に終えて、いまの段階で感じるところを少し右に書きました。





2022年10月3日(月) 

世界における索引と徴候

 8月8日に88才で逝った「中井久夫」。会ったことはありませんが、知人に直接会った人がいるのと、読んだ著書は数冊ですが、何かしら近いものを感じて、普段は中井先生と呼んでいます。なぜか親しみをおぼえるのです。

 『治療文化論』は人に勧められ、『私の日本語雑記』は広告をみて、今回は訃報に接して図書館の蔵書リストから選びました。

 天才というより、超人。天はときどきすごい人をこの世に送り出してくれる、そんな気のする方です。

 essais〈話す〉で「老子」を読み始めたのは8月9日でしたが、今日のessais〈書く〉で、はたっと思い当たりました、「老子」の説くところを体現しているような人でもあるなぁ、と。

 図書館で別な一冊を予約しました。そして仕事にも役立ちそうな翻訳本も見つけました。超人の知にふれられるのも、書物あっての賜物です。


2022年9月7日(水)

ジュエルっ子物語


1日に絵本が届きました。仕事で知り合った方からのプレゼントです。

以前に自主制作した私家版を出版社から書店販売できるようになったとか。よく頑張ったと思います。

8月の途中から〈話す〉essaisは老子を読んでいます。

ふと思い立って始めたことですが、朝一番に声をだしてタオの精神にふれるのは、茶道ならぬ、なかなか良い〈一服〉です。

2冊の老子道徳経を読んでいます。どちらも2018年6月に買いました。

戦略思想家が書いた『真説 孫子』を読んで、そこに老子の道徳経も「兵法」であると書いてあった。

へぇーそんなんだと思って、興味をもち、ネットで検索して選んだのは2冊。

大学の先生の書いた『老子 訳注』、言語学者・思想家?の「井筒俊彦」の『老子道徳経』。

買った当初、第14章まで読んで、そのままにしていました。こういうものは、〈バイブル〉のようなもので、何かの時にふと開くものだろうと思います。

でも考えてみれば、どこに何が書いてあるかわかっていないと、その「何かの時」に応じて開くことができない。

今回まずは通して読むことにしたのは、いい運びになりました。ふとしたきっかけですが、後々によい。

いやいや、今日でまだ第20章ですが、今の段階でも、なんとなく、感覚がちょっと澄んでくる、そんな気がしています。

小池さんの方は全部で79章、井筒さんの方は81章。読み終わるのは12月の中頃でしょう。

〈話す〉essaisを聞いていますよ、と言って下さる方から、「老子、いいですね、すとんと入ってきます」。

それはよかった。『人の役に立るようなことをしようと思えば、現在の自分にとってもっとも役に立つようなことをすればいい』とは、よく言ったものです。

先の『ジュエルっ子物語り』を贈っていただいた方も、自身の自問自答を一つのカタチにして世に問う。

その働きかけが、この世のどこかに同じように自問して答を模索する人の役に立つはず。

濱田アキさんの道はまだ続くし、わたしの道ももう少し続きます。

自問自答の旅、それが老子のいう道。といえば、あまりに単純化が過ぎるでしょうか。

とにかく超然とかまえて前に進んでいきないといっていることは間違いないと思いますが。

何はともあれ、手をつけた老子の道徳経、このままひと通り読み進めることにします。あまり上手に読もうとはせず、自然なかたちで。


2022年7月13日(水)

BTS、ユング、こころの地図


 夏至のリーズレターにも少し紹介した『BTS、ユング、こころの地図』(マリー・スタイン他、創元社)、2章まで読んでそのままになっていました。

 なぜそうなるかというと、やはり心理学はあまりしっくりこない。心理に関する体系的な学びは必要だと考えているのですが、心理学の世界をわけて知る必要性は感じていない。

 ですから3章以降は、ほんとうにざっと読んだにすぎません。他の分野、例えば哲学や認知科学などで教えてもらったことも少なくないので、それでよし、としました。

 その一つに、「自分が何者なのかを決めるのは世界じゃない。自分の道は自分で照らす」。

 また、「自分自身に誠実でつづける」。


2022年3月7日(月) 「

 日経土曜版に連載されていた梯久美子さんの「この父ありて」。「茨木のり子」の回から読んで、「石牟礼道子」にはぐっと惹かれました。

 連載が終わり、もう少し知りたいとネット検索したら、藤原書店から出ているコレクションに「父」あり。

 今日のessasiでも話しましたが、この季節の休日に、なんとも空気になじむ「父」でした。時に涙がこみあげて、目を宙に浮かせました。

 『竜骨と父のあばら』、『ほんたの死と父の泪』、『愛犬ごん太の失踪』・・・。心身が清められるような、そんな一冊でした。

  「父」は天領という言葉よく使われたそうです。

 「父の胸の内にあった天領とは、万物にそそがれて慈光を放つ天のまなざしを言っていたのにちがいない」。

 昨日日曜の朝、空は晴れて、清々しい読了感につつまれた休日のひとときでした。


2021年12月28日(火) 「文化人」?

数の不思議(アルケミスト双書)』


 この本は出てすぐに買ったはずですが、しっかり読んではいませんでした。その頃独自に勉強していたことに、そのうち役立つ気がして買ったのでした。

 それから10年。先に読んだ『はかりきれない世界の単位』と同じく、絵本のようになっているので、すぐに読めます。

 これも、読むというより、なぞるような感じですが、そうしながら、感じることがひとつ。

 それは、こういう、すぐに何か役に立つものではない、でも、普遍的で、普段は意識することのない事柄にふれると、自分がちょっとした「文化人」になったような気分になる。

 なぜでしょう。たぶん、自分なりに多様な知に接してきて、知の世界に少し大局観をもてるようになったからではないかと思います。

 まったく到達はできないけど、知の宇宙というか、そういうものは自分なりに認識できる。そう考えるのですが、いかがでしょうか。


2021年12月6日(月) 数学

数学図鑑

はかりきれない世界の単位


 ノイマンの本を読み、「数学」にふれる気になり、図書館で2冊で借りて、読む、というより、なぞりました。

 数、数学もまた不思議な世界です。それだけはあらためて感じました。

 『はかりきれない世界の単位』に、「刹那」とは仏教の最小単位の「念」と書いてあって、1刹那=1/75秒に対応するのだとか。

 知ってるつもりのことの、また知らないことを知るのが、読書の醍醐味です。

 それにしてもすぐ近くに図書館があるというのは、思いの外、好環境、好条件。

 ちょっと気になれば検索して、すぐに多様な知にふれられ、知る愉しさをまた覚ましてもらっています。


2021年10月27日(水) 超天才

人間のフリをした悪魔


 春先だったか、新聞の広告をみて、副題が目にとまり、図書館に予約したのが、この本。

 「ノイマン」の名前はかつてよく読んだ脳科学や認知科学の本などでちょくちょく見かけ、著者によっては、超天才だけど…と含みを持たせていたので、今回の副題のことかと、読んでみる気になったのでした。

 10月25日の音声essaisで話しましたが、「悪魔」という風には個人的には感じませんでした。天才だけど「政治」ができる人、だから「悪魔」になるのかもしれませんが。

 睡眠は4時間、あとはすべて「考える」ことに使う。考えることがとにかくたのしい、ノイマンはそう思っていたようです。

 ノイマンの足もとにも及びませんが、わたしもそう思って『哲樂の中庭』(てつがくのなかにわ)という名のプロジェクトをそつくり、冊子を製作し、リーズレターの名前にもしています。

 この機会に「考える」をもっと意識して、何か習慣にするようなことをつくってみようかしらと、その「何fか」をあたり始めたところです。


2021年10月15日(金) 心〉を習う

心のしくみとはたらき図鑑


 今年のリーズレター夏至にも書きましたが、専門職は分野をとわず、心について体系的な知識を備えておくことが大切だと今年に入って感じました。機会あるごとに仕事上でも話してきましたので、自分でも勉強しようと本を探して見つけたのが、右の図鑑です。

 今回〈図鑑〉について一つ再認識。それなりに色々な本を読んできた場合、図鑑はそれらをうまく整理整頓してくれるということ。これから学ぶ人、そしてそれなりに学んできた人に図鑑はピッタリ、そんな風に感じました。

 ということで、読み進めるうちに、自分で体系化してまとめたくなったのです。自分の頭の中に構造図をおさめる、そんな欲求です。そしてその作業13日に終えたところです。

 近年は心理学に脳研究が貢献していますが、過去に脳科学、認知科学の本をそれなりに読み、何となくわかったつもりになっていたのを、図鑑の中にあった次の一文が諭してくれました。

 「すべての脳研究には限界がある。研究が示すのは、脳活動と行動の相関関係であって、因果関係ではないのだ」。


2021年8月16日(月) 手書き

美しい痕跡 手書きへの賛歌

 
 7月に「手紙」にかかわる出来事があり、ふと思い出したのが『美しい痕跡』(フランチェスカ・ビアゼットン みすす書房 2020年です。今年からはモノを増やさないようにしたので、図書館で借りました。

 昨年春に出版社のMLで紹介された時、これは買いだ!と思いましたが、そのままになっていました。

 手紙を書くということも一つの創作活動だと言う著者。たしかにそれは言える。なんだか新鮮に感じ、手書きを見直しました。

 そこで目にとまったのが、ずっと飾りになっていたガラスペンと2種類のインク。もらった当初は使っていましたが、もうたぶん15年はこの状態。それを先週末からまた使い始めました。

 ところでカリブラファ―の多くが墨を愛用しているそうな。硯で墨をする「間」が一種の瞑想のようでいいそう。やはり同じ〈書く〉道、書く前から後までの所作全体が大事。書道と通じるのでしょう、カリグラフィーも。

 さて今日のessasisにも話して書きましたが、この本には附録があって、500年前の人が書いた手習い帳の翻訳もついています。これがいい。右の写真下はその一部です。

 『ルドヴィーコ・ヴィンチェンティーノによる小品 カンチェッレレスカ体の書き方と学ぶために』(1522年)

冒頭のメッセージには手で書いたものを摺って表すには限界があることをことわった上で、

 「たとえそうであっても、わたしは願っている。わたしが覚えたことを倣いながら、あなたも自分の力で求めるものに到達できることを。生きよ、そして健やかなれ」。

 同時代の読者だけでなく後世の人にも思いを馳せての励ましではないかと思います。愛がありますね、愛が。


2021年7月24日(土) 詩と哲学

 先に読んだ『思索の淵にて』の一冊目にあたる『魂のみなもとへ』も借りて読みました。今日のessaisにも書きましたが、詩人、哲学者の目線、感性に、ハッとして、感嘆します。

 一年延期されたオリンピックが昨日開幕しました。祝祭日が移動し、22日から4連休。今年の夏も厳しい暑さですが、風があり、その風がけっこう涼しい。

 涼しい夏風をうけながら、朝のうちに読み終えました。詩ごころ、哲学する心にふれて、なんとなくノスタルジックな夏の朝でした。


2021年7月9日(金) 記念碑的本

このところよく図書館を利用していることから、自分にとって記念碑的本をあたってみようと思い立ちました。

 「LYKNOコンサルティング」ページにも書いていますが、『ニューウェーブマネジメントー思索する経営−』は「lパーソナル・アシスタント」をやめずに済んだ本。

 『心とコンピュータ』では「松本元」を知り、惹かれ、『愛は脳を活性化する』に出会い、脳科学の世界へ誘われ、『心の社会』をはじめ様々な本を読むことになったのでした。

 『心の社会』は仕事で出会った方に勧められました。「松本元」を読んだと言うと、「じゃ、佐伯胖を」と。

 図書館で探し、『「わかる」ということの意味』(岩波書店)他、数冊借りて読んだところ、“なるほど…”。

 そんな感想を次に会った時に話すと「それなら」と『心の社会』をあげてくれたのです。「原書で読むといいですよ」。それは無理。

 その後また新しい人との出会いがあり、知の世界を拓いてもらったのでした。下欄のリストにその主なものをあげていますが、本との出会い、人との出会いは未来を拓きますね。




2021年7月5日(月) 図書館

 今日のessaisにも書きましたが、本を含めてモノはもうなるべく増やさないつもりです。これまでは自分で買った本だけをここに載せていましたが、これからは図書館で借りた本が主です。

 今の事務所から歩いて10分少々で中之島図書館。前から利用者登録していますが、近くなって、より利用しやすくなりました。

 ちょっと気になったことは、すぐに蔵書検。先日は、一昨年ぐらいだったか、「ウェルス・マネージャー」の本が出ていたなぁと思いだし、検索、ちゃんとありました。

 本のタイトルは『ウェルス・マネージャー 富裕層の金庫番−世界トップ1%の資産防衛』。みすず書房から出ています。

 「産業革命」の頃から存在する、ある種のパーソナルアシスタント。世界の構図の一端がここにある、そんな感じがしました、プロローグ、目次、エピローグだけを読んでも。


2021年4月16日(金)

 昨日、ひと仕事終えたお昼前、気分転換がてら、『ぼく自身のノオト』を持って大川ぞいまで散歩。ようやく読み終えたのでした。

2021年1月30日(土)

 ぼく自身のノオト』(新装版)

帯に「500万部突破の世界的名著」と書かれています。よくよく考えると、タイトルは見たことがあるような…


宇宙・肉体・悪魔』新版 2020/11/9
『宇宙・肉体・悪魔』新版


賢人の雑学2020年6月22日(月)

 土曜日弟と会ったら、「先に読んでいいよ」と佐藤さんの本を渡してくれました。6/16付の「ひと言ひとり言」で話したばかりの佐藤弘樹さん。急逝して一年になりました。

 「ひと言ひとり言」でも話したとおり、佐藤さんとは何か通じるもの。この本を読んであらためてそれを感じました。わたしが書いて話していることもこういうことだろうと思います。

 特に最後の方に「諦観」について書いてありました。わたしもよく仕事でも話していることです。

 一日ですぐに読める本ですが、この出版が2016年7月ですから、佐藤さんがここに生きている、そう感じます。書いておく、ことは後々さらに意味をもってくるものです。


『大衆の強奪』 2020年2月17日

 読みながら、今の世界政治トップの面々、衰退した政党、ネット社会の様相等々が頭に浮かびました。まるで今の時代を語っているような、著者がいま生きていて、一生懸命わたしたちに説いているような、そんな本です。

 このタイミングで日本初全邦訳本を出したというのも頷けます。1883年生まれの著者は第一次、二次の大戦を生きた、医学を出発点に学際的な実践家。

 ファシズム、反ファシズム、いずれの場合も、やすやすと大衆がプロパガンダに乗る様相は、自分を映す鏡。知る人ぞ知る本だったのもよくわかる内容です。

 いとも簡単に扇動されるかもしれない自分に鉄線をはり、教養、社会的知性を磨くためにも、読んでおいた方がいいのでは?と感じる一冊でした。



『時間は存在しない』2020年1月17日

下欄に紹介した『時間とはなんだろう』を読んだ時のとらえ方を、さらに物語的に解説してくれたような、そんな本でした。動くことによって自分の時間をつくっている、過去も未来もいつも自分の身のまわりに抱え、対話しながら、自分の人生を生きている。

 最新の科学ニュースや読書を通じて時々感じることですが、たぶん古代の人たちが直感していたことを科学で解明し、お墨付きを与えたということではないでしょうか。  



『自然は導く』 2019年10月17日

『人体の冒険者』を読んだ時に読者登録をしたので、定期的にニューズレターが届きます。その中で紹介されていたのが『自然は導く』。短い紹介文でしたが、すぐに“これは買いだ!”。翌日梅田三番街の紀伊国屋書店でチェック。てっきり人文コーナーと思っていたら、アウトドアのコーナーに陳列されていました。

 人文の方がいいのではないかしら、ともあれ迷いなく購入。読み始めると、早々に、“この本はどの専門家にとっても、何らかの示唆を与えてくれる”。

 「観察」の大事さは、モンテーニュの教えをよく引用して、自他ともによく話ていることですが、自分の「観察」の程度がなんとも未熟で初歩の初歩であるか、痛感させられました。「essais」もそんなことを少し書きました

 そして都市で暮らすわたしたちとは比べものにならないほど、自然とともに暮らす人たちの高度に発達した力。目にみえて、そうとはわからないけど、磨きにみがきのかかった感覚、外界から何かを読みとる、読み解く能力。想像を絶するほどです。わたしたちにもこれから何とか取り戻せるのではないか。

 あらためて、外見からは見えない才、質、能力に思いを馳せること。目の前の人が内に秘めている力に想像力を働かせる、その意義を想うのでした。外観にとらわれず、この人の中に何かこの人ならではのものがある、そういう目線を忘れないようにしなければ、と。

 そんなこんなこと箇所に付箋をつけながら読み進め、12日に読み終えたのですが、いつものように読書メモに記入し始めたところ、なかなか進まない。付箋はいっぱいつけても、メモに書き込むのはそう多くないのが常。

 でも今回は一気にできず、仕事の合間に、細切れに書いています。その数が多すぎて、いまだ継続中。



『未来への大分岐』2019年9月24日

3年前だったか、NHkの「欲望の資本主義」を視た時に、“この人は、すごい…”と感心したのが、「マルクス・ガブリエル」。初めて知った人でしたが、あとで調べて、すでに世界で注目を集めている若手の哲学者。時代の要請でしょうか、時々こういう風に、世界に一つに指針を与えてくれる人が、この世に出てきますね。

 同じ意味で、インタビュアをつとめた編者「斎藤幸平」にもそれを感じます。大阪市大大学院の准教授、32才。信奉する人も多いのではないかと想像。内に何をそなえ、どういう環境でその才が育まれたのか、興味がわきます。少し検索してみましたが、本に紹介されているプロフィールの範囲でした。

 この本を読んで気をひきしめました。彼らの奮闘に呼応することになるかどうか、まずは、わたし自身の今の務めをしっかり果たすこと。自分ならではのいき方を模索する人たちによき助言を授けられること、対話の機会や場で多様な意見、問いを交流させること、そして、自他ともに問うこと。本当にそれは自分のため、人のためになることかと。

 「マルクス・ガブリエル」の印象的な言葉−『倫理は死すべき存在のためのものだ』。「不死身であれば、どう生きるかは問題にならないので、倫理をもつことはできない」。「倫理的諸原則は、人間が人間らしく生きるための条件だからこそ、すべての人間をカバーする、真に普遍的なものでなくてはならない」。



『人体の冒険者たち』2018年12月18日

 日経の書評を読み、即“これは買いだ”と感じました。著者は医師ですが、思考も行動も非常にグローバル。知の周縁をこえて、宇宙的という表現がしっくりきます。属して属さず、属さずして属す。専門領域に埋没せず、広く人間を世界をみる、そういう人や本に惹かれるのが常。本当にいい本なだなぁと感じました。

 それにしても、世の東西をとわず、大昔から人は人間の体と宇宙を自然につなげてみています。現代では「時間治療学」という分野もあるぐらいですが、まだまだわかっていないことがたくさんあるはずです。

 先週ほんとうに久しぶりに京都北山の植物園へ行きました。紅葉はすぎて、人もごくごく少なく、冬枯れの空気感が漂っていましたが、お目当ての「フウの木」の下から頭上を見上げると、ところどころの枝の根元に緑の葉がたわわに連なっているではありませんか。

 どういうこと? 別の木の枝がからまっているのかと目をほそめてよく見ましたが、そうではありません。たしかにフウの木の葉です。たまたま近くで木々の手入れをしていた作業着の人がいたので、近づきながら声をかけました。「あのー、すみません、これって、どういうことですか、気温が高かったからですか?」。

 「あぁ、これは」と返ってきた声にえっ?! 男性かと思ったら、女性でした。作業帽とマスクでわからなかったのですが、やさしく教えてくれました。台風で折れた枝から出ていて、たぶん、この緑まま落ちていくだろうと職員どうしで話していると。

 びっくりしました。そういうことがあるんだと呻りました。自然の営み、力を今更ながら人間に知らせているような感じです。9月の台風で折れた枝を朽ちらさないためなのでしょうか。

 人間もそうできている。この本を読むと、自他ともの心身を、自然を、この世界すべてを、いとおしく想えます。



『時間とはなんだろう』 2018年5月3日

 新聞の広告をみて気になっていた本。買ったのは2017年12月11日。すぐに読み始めたものの、何かを慌ただしく、読み終えたのは今年2018年4月8日。

 「時間」に関心が出てきたのは、独立してからのこと。10年ぐらい経ったときに、ふり返って、人との出会いの不思議さすごく思って、そのタイミングというか、流れというか、そういうものが時間のなせるワザのように感じて。

 当時は、人間それぞれに生まれた時を出発点にその人の一生に時間の流れ、道すじが決まっていて、たまたまその道すじのどこかで交差した人と出会っているのではないかと考えました。ある意味、平面的。

 その後『宇宙は本当にひとつなのか』(村山斉 講談社ブルーバックス)を読み、わたしたちのまだ知らない7「次元」が空間の中に隠れているかもしれないと書いてあって、「時間」へのイメージは少し変わりました。ある意味、立体的に。

 今回のこの本を読んでは、もうすこし柔軟にとらえるようになりました。社会生活に使われる時間は一つの決め事だからそれはいいとして、人間個人にとっての時間はその人が動くことに発生させているのではないか。横になって眠っている時は、その場、地、空間の過去の記憶または隠れた次元に入り込んで、夢の見るのではないか、など。

 結局のところまだ「時間」はコレだと特定することはできないそうですが、最終的に次のように説明してくれています。なんだか、「時間」をいとおしく感じます。

   「時間は、時空、重力、量子場に刻まれた建造物を絶妙に繋ぐ要石」

  著者は京大を卒業した方で、京大が肌に合ってそうな印象を受けます、本文を読むと。そして「おわりに」がまだ親しみを感じます。「理」を駆使して一つのテーマを突きつめていくと、それまで見えなかったものが見え、自分の世界の見え方が変わる。だから、

 「一人でも多くの方がご自身の学びを通じて世界を深め、その美しさを共に楽しんでもらえるのが私の願いです」

 わたしもそうありたいと思います。



私の日本語雑記』 2017年11月24日

 2010月5月に岩波書店から出た「中井久夫」の本。新聞広告を見てすぐに購入。10数年前に知人から教えられて読んだ『治療文化論』に、不遜ながら、何かしら共有するもの感じていたもので。ただしずっとそのまま置きっぱなしにしていたのでした。

 それが、5月に読んだ「岡潔」にも通じるものがる気がして、6月中旬に読み始めました。実際同じようなことが書いてあり、例えば「情」があって知があるとか、俳句や詩歌のことなど。「中井久夫」という稀有な知性と感性の偉人が書く日本語。その内容は日本語を周縁からとらえ、心身と外界の垣根なく、宇宙的。

 読みながら気づいたのですが、この本のすごいのは、読んでいるこちらが賢いように感じられること。まるで自分がこの本を書いているようにも思える、不思議です。著者ならではの観察がこの本を創っているのですが、その観察眼が自分のもののようである錯覚。著者ならではのなせる業でしょうか。

 この本は一気に読わなくても、ふらっと自然の中を散歩する気になった時に読めばいいような、そういう一冊です。6月18日に読み始めて読み終えたのが昨日11月23日、けっきょく5カ月になりました。いい散歩ができた気分です。付箋をつけた箇所が無数。そのうちから特に気になる箇所をフォームに手書きして保存。

 この本もまた、ものごとの本質、『われわれな何者か、われわれはどこへ行くのか』の示唆を与えてくれています。どの仕事、どの業の人にとっても、自分を生き、社会でそれなりの役割を果たそうとする人それぞれに、学ぶことの多い本です、『数学する人生 岡潔』と合わせて。



『晩年のスタイル』 2017年11月28日

『数学する人生 岡潔』を読んだ後、ずっと書棚におきっぱなしの『晩年のスタイル』(エドワード・W・サイード)に目がいきました。原題は『On Late Style』。サイードのいう「レイトワーク 後期の仕事」を知ったのはテレビ番組に出演していた「大江健三郎」のお話しからです。たしか2002年の終わり頃でした。

 この本の出版は2007年。出た時に広告か新聞の書評で知り、すぐに買いました。でもなぜかしら読む気にはならず、置きっぱなしにしてはや10年。本を読む場合、一冊入り込んだ本があると、その系統が続くものです。「岡潔」を知って、ようやくこの本も読むことになりました、5月下旬から6月初めにかけて。

 読んでそれほど強い印象は受けませんでしたが、確実に一つは自分なりに認識を新たにしました。それは、老いてラディカルであること。妙に老成して、納まってしまってはつまらない。若年期、壮年期を経て、精神はそれなりに熟成されているのだから、それを閉ざさず、自他ともに大いに味わえるようにすること。

 そう思えた一冊でした。付箋の数はそれほど多くありませんでしたが、大事な箇所を手書きして精神の糧に。



『数学する人生 岡潔』2017年11月19日

 ここ数年では一番に心に迫った本。今年5月に読みました。編者は『数学する身体』で小林秀雄賞をとった「独立研究者」の「森田真生」。この人自身が「岡潔」に導かれて専門を数学に移したほど。現代人に「岡潔」の存在を伝えたいという思いからの出版とあって、内容がうまく構成されています。

 最初は受賞本の『数学する身体』を買うつもりで書店へ行ったのです。昨年の9月末ごろ地下鉄車内で、若い男性が単行本を食い入るように読んでいた。カバーはかかっていなかったので、なんとか、「数学」という文字だけは見えた。数学の本で、そんなに…?

 その本が『数学する身体』らしいとわかったのは、それからしばらくして日経新聞に載ったインタビュー記事。「独立研究者」といういき方にも共感、受賞本を読んでみようと思ったまま年を越して春になってしまいました。おまけに買ったのは『数学する人生 岡潔』。こちらに本質があるように感じたものですから。

 これほど入り込んだ本は久しぶり。食い入るように読みました。自分が同じ時代を生きているように感じたほどです。こういう人がいたんだという驚き。付箋をつけた箇所はすごい数になりました。その箇所を所定のフォームに書きとめながら、言葉をまたかみしめる。普遍的なもの、真理というようなものにふれる本です。

 『いま、読んでいる本があるんだけど、岡潔、この人は…』とクライアントが言いかけて、えっ!という表情をしたこちらの反応に先方も驚いて、しばらく二人で熱烈に「岡潔」の知を語り合ったのは、今月初め。20年を越えて続くクライアント、その<わけ>をあらためて気づかせてくれた『数学する人生 岡潔』です。






















読書をする  − 仕事を超えて、自分を拓く −



『読書とは本業以外の本を読むこと』(堤清二)

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中井久夫集3 1987-1991『世界における索引と徴候』



『モンテーニュ』(荒木昭太郎 中公新書 2000年12月)



岩波ワイド文3庫 新訂『孫子』(金谷治訳注)



『戦争と平和 ある観察』(中井久夫 増補新装版) 



『教養としてのラテン語の授業』(ハン・ドンイル 2022年)



「老子」の音読を終えて、また始める

 ふとした思いつきで8月10日に始めた老子の音読を昨日12月8日に終えた。ただ、もう一度初めの道の編を読みたくて、今日また第一章から読みはじめた。音読してしばらくした頃から、自分でも同じところを聴きたくなったが、最初の時の読みは、あまりに無造作だった。

 全章を読み終えて、4ヶ月がすぎた。始めた時は酷暑だった。今はもう冬だけど、季節がそんなにすぎた感じがしない。何かしら一塊で4カ月という時間が空間上に浮かんでいるようなイメージ。第一章だけでも、あるいは全章をとおしても、同じことを説いているせいかもしれない。

 こうなると、もう少し背景などもおさえたくなる。読んだ2冊の本の著者あとがきなどはまた読んでいない。学術的な本の方には、いろいろと書いてある。追って読んで、別途まとめておくことにしよう。

 本の2冊とも、買ったのは2018年6月だった。4年後にこうして通して読むことになり、すこし学びをかさねることになる。こういうことがあるから、先日の「拠点ゼミ」でも受講者のみなさんに強調した、「自分に期待をよせましょう」。

中井久夫集3『世界における索引と徴候』(2017年7月)



濱田アキ『ジェエルっ子物語』(2022年8月)



小池一郎『老子 訳注』(2013年7月)



井筒俊彦『老子道徳経』(2017年4月)



『BTS、ユング、こころの地図』(2022年5月)



石牟礼道子詩文コレクション6 「父」



『数の不思議(アルケミスト双書)』(2010年6月)



『数学図鑑』、『はかりきれない世界の単位』



『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』


本をそのまま図書館へ返したので、かわりに、読書メモを掲載。

『心のしくみとはたらき図鑑』



『美しい痕跡 手書きへの賛歌』





『魂のみなもとへ−詩と哲学のデュオ』 



1995年から1998年の記念碑的本

 




思索の淵にて 詩と哲学のデュオ』 2021/6/30

 日経の文化面で若い詩人が紹介していた一冊です。初めて名前を知った詩人でした。本の方は「茨木のり子」と「長谷川宏」のコラボで、出たのは2006年。

 子供の名前に「のり子」をつけたほど「茨木のり子」が好きという男性と結婚した知人がいます。「茨木のり子」の名前は前から知っていましたが、本は一冊も手にとったことがありません。

 「長谷川宏」も在野哲学者で塾をやっているということは知っていました。作者・著者と、読者ということではなくて、不遜ながら「ご同輩」というか、時空をこえて同じような世界を生きているというか、そんな感じがして、ただただ受けとめるのみです。


ぼく自身のノオト』(新装版) 2021/4/15

 ヒュー・プレイザー著 きたやまおさむ訳。2021年4月16日の音声版「今日のessais」で話しましたので、新装版の「訳者あとがき」から一節を抜粋しましょう。 「感染症のおかげで現実の旅が難しくなった今、心の旅だけはどこに行かなくとも可能だ。本書はその心の旅日記の古典である。それは実は冒険旅行でも、ファンタジーランドに出かけることでもない。それは例えば、「僕」が感じる情緒という糸と、それについて考えるための言葉の糸とを織り込み、二つが出会ったり交流したり別れたりするところを「僕」が生きて報告することで、間柄や人柄、そして人生物語が紡ぎ出されるという旅なのだ」。


まだ読んでいませんが・・・ 2021/1/30

 このところ本をプレゼントしてもらいことが続きました。その一冊が『ぼく自身のノオト』(ヒュー・プレイサー著 きたやまおさむ訳)。1979年出版の復刻新装版。この本のチラシに次のような編集者のメッセージがあります。

 「(略)北山修先生が33歳の時に訳されて(凄い…)、言葉の柔らかさ、芯の強さ、言葉に出して読む快感など、代え難い翻訳の魅力にも溢れています」。

 昨年本をたくさん処分しましたが、若い頃のもので残した一冊が、『戦争を知らない子どもたち』(北山修)。こちらは1971年出版。その後、翻訳本が出ていたとは知りませんでした。大事に読み進めたいと思っています。

 ところで、昨年秋にネット検索していたら京都大学のOCWに行きあたり、300以上ある公開講座やその他シンポジウムなどの動画を気の向くままに選んで、視聴。なかなか為になる「おひとりさま」学習ができました。

 たまたま開いた生物学の講座に、哲学の初耳な話が出てきたり、教員研修の講師に「平田オリザ」がなっていたり、知の新鮮なシチュエーションに出会った感じがして愉しい時間をもてました。ちなみに一番印象に残ったのは、

 『人は、現在のことは指し示せばよいが、過去のことは物語らねばならない』(J・G・ヘルダー)



宇宙・肉体・悪魔』新版(J・D・バナール) 2020/11/9

 出版社からのメルマガをみて買う気になりました。初版は1929年で、著者はイギリスの生物・物理学者。まだ27歳の時に発表した論考で人類の未来を予測しています。読みながら、今のネットとAI社会の行く末を物語っているようでもあります。

 2つの未来=7願望の未来、宿命の未来。宿命の未来は、不可避的に起こるであろう未来。今回のアメリカ大統領選はバイデン氏が勝利宣言をしました。この結果が未来に何をまたらすか。宿命の未来が待っています。

*LEESレター哲樂の中庭』2020年立冬にも少し記事を書いています。


ラジオの語りが甦る『賢人の雑学』(佐藤弘樹) 2020/6/22



教養のための『大衆の強奪 全体主義政治宣伝の心理学』



理系文系の垣根をこえて、『時間は存在しない』 2020/1/17


 

50年前の本が初めて邦訳、『自然は導く』 2019/10/17


 

編者の若い研究者に感心、『未来への大分岐』2019/9/24

  


『堀田善衛全集』を見なおす 2019年4月〜


 全集を見なおし始めて、思いがけない発見がちょこちょこあり、たのしみが出てきました。例えば、第2巻の解題のところで、『歴史』の単行本帯に記された作家本人の弁が紹介されています。

 人生は、ひとつづきにつづいたものなのだ。ある部分を忘れてしまったり、抹消したりすれば、そこだけ断絶して、不連続なものとなる。不連続ということは、不安定ということだ。

 9年前の2010年に『人生とう作品』(三浦雅士 NTT出版)を読んで、「過去」に対する認識を新たにしていた。いまこうして「堀田善衛」の考えにふれて、あらためて、深く頷くのでした。


『人体の冒険者たち』、すべてがいとおしい 2018/12/18



「おわりに」の一節に親しみ『時間とはなんだろう』 2018/5/3



若い人に読んでほしい『エセー』、「堀田善衛」 2018/3/14


 今年度の仕事も終盤、公私ともに整理整頓をして、新年度を迎える3月。2017年度は、「精神の糧を豊かに!」をテーマとして、自他ともに「自習」、「読書」を唱えました。

 科学者や経済アナリストも昨今さかんに文化的素養の大切さをうったえています。仕事や暮らしのさまざまな判断・判定を人工知能・AIに委ねる社会、人間には人間ならではの精神の働きに重きがおかれていくことになりますから。

 人間社会の普遍的な精神、個々人のアイデンティティー・精神性、そういったことを心身ともに覚え。そうでないと、時勢に翻弄されて、場合によっては、心を不健康にしかねません。

 大学生の5割が一日の読書時間ゼロという調査結果が2月26日に発表されました。20歳の学生なら生まれは1998年前後、金融破たんが続き、親世代は混とんとした社会状況の中で悪戦苦闘していた頃です。

 経済的にも精神的にも余裕がなく、子供に読書習慣をつけさせることができない世帯が増え始め、一方ではインタネットが生活の中に入り始めた時ですから、そういったことも調査結果の背景にあるでしょう。

 それでも、読む人は読む。そして読まない人は今度さらに読まなくなりそうです、AIなどの広がりで。これからの世の中では、若者たちの同世代間<文化ギャップ>、<コミュニケーションギャップ>が深刻になりそうです。

 良好な人間関係は仕事や生活の質に欠かせませんから、若いうちからギャップにさらさせると、特に本を読む人の方に、孤独感を深めたり、自分を見失う人が増えるのではないかと心配です。

 そうならない精神力の助けになるのが、古典や<良識>ある先人の知です。「モンテーニュ」と「堀田善衛」は若い人にこそお勧めします。

 中公新書の『モンテーニュ』は著者の熱い思いが読者をさらに勇気づけます。『めぐりあいし人びと』の前に、『若き日の詩人たちの肖像』を。「堀田善衛」は人間とは、社会とは、というようなことを考えさせてくれます。

 ちなみに「堀田善衛」は「モンテーニュ」の『エセー』を、「(人間を見直す)試み」ととらえています。2008年11月に神奈川近代文学館であった『スタジオジブリが描く乱世 堀田善衛展』の展示に書かれていました。


私の日本語雑記』、散歩するように読む 2017/11/24



『晩年のスタイル』、10年経って読む  2017/11/28



『数学する人生 岡潔』、二度の驚き  2017/11/19



これまでの読書&〈書く〉歴

 2017年2月11日にクレオ東館であった『ビジネスセンス塾Vol.3−人に学びつつ、倣わず、ワタシ流を磨く』。レジメの中にワタシ流を磨く二大習慣として読書と〈書く〉をあげました。一例として履歴を簡単にまとめましたので、以下に抜粋いたします。ちなみに批評家の「若松英輔は、『書くこと、話すことは魂の労働』と言っています。

 なお、1995年から1998年の読書歴を1999年6月のリーズレターにまとめています。






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